ホンダコレクションホール

ホンダコレクションホール

レースをやらなくては良くならない

市販レーサーのスペックとバイク写真とその当時のエンブレムの写真を載せています。
ホンダコレクションホール

自動車をやる以上、一番困難な道を歩く

ホンダがF1初参戦の苦悩と初優勝の話と当時のマシンの写真を載せてます。
ホンダコレクションホール

一番困難なことに最初に立ち向かう

なぜ、アメリカが初海外進出の場所に選ばれたのかそこでの戦略などが載っています。
ホンダコレクションホール

人々が本当にほしいものを。

初代スーパーカブの誕生秘話とスペック、写真を載せています。
ホンダコレクションホール

誰かにまねされても、誰のまねもしない

ドリームC70の解説と生い立ちなどどの様な影響を与えたのかと写真が載っています。
ホンダコレクションホール

マン島レース 苦しい時だからこそ夢が必要

苦しい時だからこそ夢が必要の言葉通りこの年の経営が苦しい中世界大会のマン島レースに出場を宣言し、それに向けての努力と戦いを載せたブログになっております。
ホンダコレクションホール

経営危機を乗り越えた先に

ホンダは前年の1952年に資本金600万円に対して工作機4億5,000万円を購入した。 なぜそれだけの投資をしたのかと言うと競合増加とユーザーニーズの変化によりカブF型が失速してしまいより大きい排気量のエンジンなどを造らなくては生き抜けない...
ホンダコレクションホール

技術で人の役に立ちたい

終戦から8年経過して日本経済の復興も進捗していき、建設業や農業、漁業など人力に頼っていた動力源の機械化も進んだ。ホンダは汎用エンジンとなる「H型」エンジンを1953年販売した。 当時は今の様な便利な世の中ではなく人々は重要労働を強いられてい...
ホンダコレクションホール

世界一じゃなきゃ日本一じゃない

タイトルの言葉は本田宗一郎の口癖で、たとえ日本一になったとしても優秀な海外製品が輸入されてしまえば負けてしまう。世界一の性能、耐久性を求めました。 A型の生産後、世界一をとるためには今後、人々はもっとパワーが必要とされると予想していた宗一郎...
ホンダコレクションホール

人を喜ばせたい

本日、紹介するのは自転車用補助エンジンとA型です。 ホンダ初めて作った商品で終戦(1945年8月)を迎えた次の年にできた。 当時の日本では自転車が大衆の足であり、山のような荷物を運ぶ手段でもあった。自転車に補助動力を取り付けたら、きっと喜ば...