やる以上は勝て 二輪オフロードレースへの挑戦

ホンダコレクションホール

ホンダはこれまで有志の社員参加がメインだったオフロードレースという領域にこの時代から企業として本格参入していった。
1960年代半ばゴロよりモトクロスレースの主流は軽量でハイパワーな2ストロークマシンだった。ホンダの技術者たちは4ストロークマシンにこだわる本田宗一郎に秘密で2ストロークマシンの研究を始め試行錯誤を重ね全日本モトクロス大会で勝てるレベルのものが出来上がったのち正式に本田宗一郎に提案した。やる以上は世界一のものをつくれと承諾される。
その後誕生したホンダのモトクロッサーは世界選手権(ヨーロッパモトクロス大会)やAMAモトクロス(アメリカモトクロス大会)などで頂点を極めた。

RC250M(RC335C)
レースの世界では60年代に入り2ストローク勢の台頭が激しく4ストロークメーカーとして成長し世界一のバイクメーカーとなったホンダではあったが、レースに勝つ為には2ストロークエンジンの開発が急務であった。
1972年、ホンダは満を持して全日本モトクロス選手権への参戦を開始し第6戦の神鍋大会で念願の初優勝を飾る。この勝利はホンダの2ストロークレーサーの初勝利であり原点となった。
エンジン:空冷2ストローク単気筒 247cc 最高出力:30PS 重量:84kg 常時噛合式5段 年式:1972年

エルシノア CR250M
ワークスマシンRC250Mの初勝利から3カ月、満を持して登場した市販モトクロッサー。
新開発の空冷2ストロークエンジンは33PSを発揮。また、高強度クローム・モリブデン鋼製フレームやアルミ合金製燃料タンクを採用するなど徹底した軽量化が図られた。
エンジン:空冷2ストローク単気筒ピストンバルブ 247cc 最高出力:33PS 重量:96kg クロームモリブデン鋼パイプフレーム 5段変速 
年式:1972年 当時の販売価格300,000円 現在換算で924,277円(消費者物価指数)

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