ホンダは前年の1952年に資本金600万円に対して工作機4億5,000万円を購入した。
なぜそれだけの投資をしたのかと言うと競合増加とユーザーニーズの変化によりカブF型が失速してしまいより大きい排気量のエンジンなどを造らなくては生き抜けない状況に置かれていたからだ。
1953年にベンリイJが4ストロークの原付車として販売されたが、リアとパッケトの騒音がうるさいとして評判が良くなっかた。
ベンリイJ
エンジン:空冷4ストローク 単気筒 OHV 89cc 最高出力:3.9PS 重量:88kg
シーソー式レアサスペンション
手軽に扱える便利さにちなみベンリイ号と名付けられた。エンジンとリアフォークが一体で作動するホンダ独自のシーソー式リアサスペンションを採用した。
翌年の1954年にはジュノオK型とドリーム4E型が販売された。
ジュノオK型 :世界初のセル付きスクーターで固定ウィンドスクリーン装備とFRP樹脂など最新技術・最新材料が採用された、重さ170kgと操縦安定性や熱の問題で不人気となってしまった。
エンジン:空冷4ストローク 単気筒 OHV 189cc 最高出力:6.5PS 樹脂170kg 3段変速
ドリーム4E型:53年に軽2輪車の規格が250ccになったのに適合させ、E型を220ccに排気量を上げた。単気筒ながら左右2本のエキゾーストとマフラー装備の豪華なスタイルで人気になったが、排気量を上げたとたんブレーキを掛けたときにエンジンが止まってしまう、スロー回転の時にプラグが被るトラブルを抱えて売り域に悩んでいた。ドリーム1~4まで改良が毎年行われていた。宗一郎はエンジンが原因ではなくキャブレターに問題があると思いキャブレターのメーカーに改良をお願いするため自ら訪れた。エンジンとキャブレターのバランス不利とフロートチャンバーの取り付け不良原因だった。
エンジン:空冷4ストローク 単気筒 OHV 220cc 最高出力:8.1PS 重量:142kg 半球型燃焼室
ドリーム4E型とベンリイの問題は早急になおし販売してお客さんの手元にあるバイクも無償でなおした。当時では異例な会社対応だった。
ドリーム4E型は本来の性能を取り戻し再販売した所、破竹の勢いで売れドリーム号の中で最も生産された。
ベンリイは改良を施した年から年を追うごとに人気を高めていった。
カブF型は生産が中止され、初代ジュノオは約1年半で生産を終えるがジュノオで培ったポリエステル樹脂技術は継承されて、約3年後に画期的な姿となって復活を果たすがその前にマン島レースの話をしたいので次はマン島レースにつて載せます。
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