ホンダはウィリアムズホンダでタイトルを取ると翌年88年からウィリアムズに代えてマクラーレンとのジョイントを開始する。そして、アラン・プロストとアイルトン・セナという当代きっての名手2人を起用したマクラーレン・ホンダは以後、圧倒的な強さでF1界をリードしていく。1.5ℓターボ最後のシーズンとなった88年は16戦15勝、3.5ℓNAに移行してV10エンジンとなった89年は16戦10勝、90年は16戦6勝、V12エンジンを投入した91年は16勝8勝。これに87年の16戦11勝(ウィリアムズ9勝+ロータス2勝)を合わせると、5シーズンで50勝!
この間常に年間最多勝を記録し、ドライバー&コンストラクターのダブルタイトルを獲得し続けた。
91年シーズンを終えたところで、ホンダは翌92年を限りにF1活動を再び休止することを発表した。F1に復帰以来9年(フルシーズン戦ったのは8年間)で64勝を挙げ、延べで5人のワールドチャンピオンを生み出し、6回のコンストラクターズタイトルを獲得するなど、素晴らしい成果を得た。
一方で、最先端テクノロジーの採用がレギュレーションにより次々と制限されていったことが、創造性を重んじるホンダの精神と相反するためF1撤退したと思われる。
マクラーレンホンダ MP4/4
88年F1世界選手権で16戦中15勝と圧勝したマシン。
最多勝利記録樹立。1500cc V6ツインターボ。写真はベルギーGP優勝者#12アイルトン・セナ車
エンジン:RA168E 水冷4ストローク80度V型6気筒DOHC4バルブギヤ駆動 1494cc 最高出力:600PS
重量:540kg(フォーミュラーウエイト) 年式:1988年
ツインターボ Honda PGM-FI(電子制御燃料噴射装置)
マクラーレン ホンダ MP4/6
88年と89年は全32戦中25勝圧倒的な強さを見せたが、90年はセナの踏ん張りでだぶるタイトルを防衛したものの、91年にはプロストがフェラーリへ移籍したこともあり、前年までの強さは影を潜めてしまった。そこで再び圧倒的な優位を奪い返すべく、それまでのV10エンジンからV12エンジンに変更してシーズンを迎えた。
RA121Eと呼ばれる60度バンクのV12エンジンは可能な限り軽量コンパクトに纏め上げられ、全長は670mmとV10型エンジンと比べて50mm程度しか大きくなっておらず、最高出力は650馬力以上、実際には700馬力以上だったともいわれている。
シーズン途中では可変吸気ファンネルを装着するなどドライバリティの改善を中心に開発されていた。
また、鈴鹿GPではノーズを延ばした最終モデルが投入されたりと見えないところですごく苦闘されていた。このような戦いの成果が実り、前年より2勝多く獲得でき、ダブルタイトルを獲得できた。
エンジン:RA121E 水冷4ストローク60度V型12気筒DOHC4バルブギヤ駆動 3497cc 最高出力:650PS
重量:500kg(フォーミュラーウエイト) 年式:1991年
ホンダ可変吸気官長システム(VIS) *第11戦ベルギーGP以降 写真は#1 アイルトン・セナ 展示用モデル
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