技術力を勝利で証明する。レースの世界へ再び

ホンダコレクションホール

ウイリアムズ ホンダ FW11B
最高の技術と挑戦の志を多くの人に見てもらいたい、そして楽しんでもらいたい。そんな想いで、市販四輪車の開発に注力するためレースの世界から身を引ていたが再び世界最高峰の舞台に挑戦し人と技術を磨た。
1983年、ホンダは15年ぶりのF1へ復帰を果たすが、15年間でF1は様変わりしていた。
エンジンは3ℓのNA(自然吸気)から1.5ℓのターボ付きが主流となり、シャーシーの素材もアルミからカーボンファイバーにとって代わり、そして何よりも空力が重視されるようになっていた。こうなると15年間のブランクは大きく、改めてエンジンからシャーシーまで、すなわちコンプリートカーを開発するには膨大な時間とコストが必要となる。そこでホンダが選んだステップはエンジンサプライヤーとしての参戦だった。
F2からの延長でまず、イギリスのコンストラクターであるスピリットをパートナーとして復帰したホンダは、続いてF1界ではトップチームに登りつめていたウイリアムズとのジョイントを発表する。ウイリアムズにエンジン供給する最大のメリットは、なんといってもマシン開発の大幅なベースアップだった。双方にとって初の経験となったターボもそれぞれが持つエンジンやしゃしーのノウハウを最大限に活かし、86年シーズンには早くもコンストラクターズタイトルを奪うまでになる。そして翌年87年にはネルソン・ピケのドライブで念願のドライバー&コンストラクターのダブルタイトルを獲得。
ホンダにとってのF1黄金時代の幕開けとなった。
エンジン:PA167E 水冷4ストローク80度V型6気筒DOHC4バルブギヤ駆動 1494cc 最高出力:970PS 重量:540kg 年式:1987年
ツインターボ Honda PGM-FI(電子制御燃料噴射装置)

ロータス ホンダ 99T
87年F1世界選手権シリーズホンダはウィリアムズチームに加えロータスチームにもV型6気筒ツインターボエンジンを供給し、2チーム4台体制で参戦。
日本人初のF1フル参戦を果たした中嶋悟は、第2戦サンマリノGPで6位入賞を果たした。
エンジン:RA167E 水冷4ストローク80度V型6気筒DOHC4バルブギヤ駆動 1500cc 最高出力:1000PS 重量:540kg 年式:1987年
ツインターボ Honda PGM-FI(電子制御燃料噴射装置)

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