「できるかできんか俺にはわからねぇけど、俺はやりてぇよ。」本田宗一郎が次に挑んだのが四輪車レースの最高峰F1世界選手権だった。
「レースをしなければクルマは良くならん。観客の目前でしのぎを削るレースこそ世界一になる道だ」という本田宗一郎の想いは、国内初の本格的レース場となる鈴鹿サーキット建設へとつながる。当時の日本には運転技術を身に付ける環境も機会も存在していなかったため、安全性が高く走ることによって知らず知らずのうちに運転技術を磨ける施設にすることも、テーマだった。これが鈴鹿サーキット安全運転講習所における交通警察官の訓練や安全運転普及本部設立へ発展していく。
1964年1月に、ホンダはF1への出場を宣言する。当時の日本人でF1を知る人は少なく、研究所の従業員ですらよく知っている者は少なかった。その前年、特振法案に押されるように軽トラックとスポーツカーの発売を果たしたに過ぎない四輪車最後発メーカーのホンダが、F1への挑戦を決断した。
そして、1964年初参戦のドイツグランプリではエンジンのみならずわずか半年で車体も自ら造り上げるという常識破りの参戦だったが善戦虚しくリタイアの結果に終わった。
しかしわずか参戦2年目の最終戦メキシコグランプリでは誰もが驚く初優勝という快挙を成し遂げた。
RA272
最終戦のメキシコグランプリで初優勝を飾った車。
年式:1965年 エンジン:水冷4ストローク60度V型12気筒 DOHC4バルブギヤ駆動 1,495cc 最高出力:230PS 重量:498kg
サブフレーム付軽合金モノコックボディ
RA300
F1世界選手権の排気量規定が3,000ccに変わって2年目に第9戦イタリアグランプリでデビュー・ウィンを飾り、ホンダF1に2勝目をもたらした車。
年式:1967年 エンジン:水冷4ストローク90度V型12気筒DOHC4バルブギヤ駆動2,992cc 最高出力:420PS 重量:590kg
サブフレーム付軽合金モノコックボディ(インディーカー用ローラT90シャシー)
RA301
68年F1最強と言われたマシンだったが不運が重なり11戦中完走は3レースのみで優勝することなくシーズンを終えた最高位は第6戦フランスグランプリでの2位。
年式:1968年 エンジン:水冷4ストローク90度V型12気筒DOHC4バルブギヤ駆動2,992cc 最高出力:450PS 重量:530kg
軽合金モノコックフレーム、リアウイング装備
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