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ホンダコレクションホール

スーパーカブ C100
「誰にでも扱えるようなもので、とくに女の人が乗りたくなるようなバイクだ」「乗りやすい、頑丈なものを作らなければならない」1958年、二人の創業者の思いが詰まったまったく新しいモビリティが誕生する。世界の人々の暮らしに役立つスーパーカブは、ここから始まった。
1956年、本田宗一郎と藤沢武夫はヨーロッパへ訪れた。カブ号F型の生産は終わり自転車用補助エンジンの時代も終わりが見え始めていて。藤沢は次なるヒット商品を開発し国内外で販売する構想を練っていた。しかし、肝心の製品が思い浮かばなく、そこで当時モペットと呼ばれる排気量50ccの小型オートバイが普及しているヨーロッパへ市場調査に赴いた。
その2年後に誕生したのが4ストロークエンジン自動遠心クラッチと3段変速を備えたエンジン付きの乗り物としては最小の排気量となる原付50ccスーパーカブC100である。操縦安定性・荒れた路面の走破性・乗りやすい車高や足つき性・高出力と低燃費の両立など、乗る人の便利と満足が徹底的に考え抜かれていた。
また、当時の2輪車のほとんどが2ストロークエンジンを搭載する中、耐久性や低燃費、扱いやすさなどから4ストロークエンジンを採用した。
ターゲットは通勤・通学・商用からレジャーまで、あらゆるユーザーを想定していたが既存のマーケットを脱却する販売台数を達成するため女性を視野に入れたものづくりも画期的だった。プロジェクトが始まる際に藤澤が「奥さんがOKを出すようなオートバイ」と注文を出すほど、スーパーカブは女性を意識していたのである。荒々しいイメージを一掃し、女性が自分も運転してみたくなる乗り物をイメージして臓物の見えないボディ(エンジンをむき出しにしない)という構想が早い段階から練られていた。また、乗降しやすいS字フレームのレイアウトに、風よけになるレッグシールド・フロントフェンダー・サイドカバーなど、樹脂成型ならではの柔らかな面とラインが表現されスカートをはいても乗れる配慮も施した。これがスーパーカブのデザインを特徴づける形になった。ジュノオで樹脂成型技術が生まれここにつながっている。
1958年8月にスーパーカブC100が発表されると、大反響を呼ぶ。スーパーカブシリーズは、基本パッケージはそのままで現在も地域のニーズに合わせて進化し、日本はもとより世界でも生産が続けられ、世界中の人々の移動と暮らしに必要な乗り物として受け入れられている。


エンジン:空冷4ストローク 単気筒 OHV 49cc 最高出力:4.6PS 重量:55kg(乾燥重量)
自動遠心クラッチ付3段変速 パイプ/鋼板プレス連結フレーム
当時の販売価格:55,000円 現在換算で342,865円(消費者物価指数)

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