技術で人の役に立ちたい

ホンダコレクションホール

終戦から8年経過して日本経済の復興も進捗していき、建設業や農業、漁業など人力に頼っていた動力源の機械化も進んだ。ホンダは汎用エンジンとなる「H型」エンジンを1953年販売した。

当時は今の様な便利な世の中ではなく人々は重要労働を強いられていた。本田宗一郎は少しでも人々の生活を楽にしたいと思い汎用エンジンの開発をした。

おそらく本田宗一郎の生活を楽にしたいとは生活を豊かにし楽しく皆が前を向いて夢みる日本社会を造りたかったのだと私は思う。そのために技術で人を助けたっかたのだろう。

汎用エンジンとは自動車や2輪車用などのように、特定の目的のためのに制作されていない多目的エンジン。芝刈り機やチェーンソー、ベルトコンベヤーなどに広く適用可能なエンジンを総省する。

「汎用エンジン H型」

カブ号F型をベースにしたホンダ初の汎用エンジン。シリンダー配置を水平から直立化。初のJIS規格適合(日本産業規格)、重労働であったエンジン始動もロープ手動2回で始動可能と好評で共立農機株式会社に背中式動噴の動力源としてOEM供給。また、エンジンはブラジルのコーヒー園向けなどに5000台近くを輸出された。

エンジン:強制空冷2ストローク 単気筒 50.3cc 最高出力:1.0Ps 重量:6.2kg

当時の汎用エンジンは、振動や音、臭いという弱点を持つ2ストロークエンジンか、大きく重く、扱いが困難な水冷ディーゼルや石油発動機が主流だった。これを4ストローク化することで低振動や、低燃費、低臭を実現し、耐久性の向上も可能となる。反面、構造は複雑化して、高コスト化になってしまう。

しかしホンダは、4ストロークエンジンの開発に挑戦。1954年12月、コンパクトで、未経験の人にも扱いやすい農業用発動機「T型」エンジンの販売を開始した。2.5馬力にパワーアップした「T型」エンジンには、農機特有の斜め状態でも安定した使用が可能な初の自社開発キャブレターを装着。マフラーにも、高温で変色にくい処理を施し、使い勝手の向上に加えて、デザイン性の向上にも配慮した。

こうした努力を続けて1954年に汎用エンジン VN型が販売された。

耐久信頼性を向上させるために2輪車技術を投入。機械式ガバナー採用で高出力かし、圧入スリーブとバルブシート1体の合理的アルミエンジンで高能率が特徴。

エンジン:空冷4ストローク 単気筒 172cc 最高出力:4PS 重量:21kg

ホンダは「一家に一台、本田エンジン付き商品を入れることで労働を軽減し生産性を上げて豊かな国にしたい」と想いを強める。「エンジンは半製品、完成品を作らなけば真の重労働の軽減は達成できない」という意思から、1958年に農機具設計部門を新設した。

1961年に狭い場所で使えるように小型化して、畑作から水田までこなせるように堅牢でトルク重視と耐久性を主眼に開発した「耕うん機F60」。

国産初の油圧式サイドクラッチ採用で操作力を軽くした。

耕うん機 F60

エンジン:空冷4ストローク 単気筒 OHV 81cc 最高出力:4PS 重量:88kg

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